病気事典[家庭の医学]
こころのびょうきとはなにか
こころの病気とは何か
こころの病気とは何かについて解説します。
執筆者:
中部学院大学大学院人間福祉学研究科教授
吉川武彦
解説(概論)
「病気」という言葉は「健康」と対比して使われますが、人の健やかさは「病気」をもっているか否かで分けられるものではありません。つまり「病気」がなければ「健康」というわけにはいかないのです。
高血圧を例にとるとわかりやすいのですが、かつては収縮期血圧が160以上あると高血圧といわれていましたが、それがいつの間にか155以上、さらに150以上となり、今では140以下でないと正常とはいえないというほどになっています。
こうした“決め方”が問題であるばかりか、最近のように「メタボ(メタボリックシンドローム)」が大騒ぎになると「病気」の概念がぐらぐら動くのがよくわかります。
ましてや「こころ」について考えると、「こころが健やかである」か「こころが病んでいる」かという一線を引くことが難しいので、何をもって「こころが健やかである」というのか、何をもって「こころが病んでいる」というかがよく問題になります。精神医学ではその線をなるべくきちんと引くようにしてはいるのですが、その線の引き方も時代とともにいくらか動きます。
この『こころの病気』の項でとりあげた「病気」であっても、精神医学が「疾病」といっているわけではないものもあげています。先にあげた高血圧もそうですが感染症であっても、ある細菌に感染したからといって「病気」とはいえないこともありますから、ましてや『こころの病気』といっても「病気」つまり「疾病」とはいえない「病気」もあると考えなければいけません。
そのあたりのことを、私はよくヴィクトール・フランクルの言葉を引いて説明します。フランクルは精神科医ですが、その彼がアウシュヴィッツ強制収容所に収容されていた時のことを日本語訳『夜と霧』(みすず書房。旧訳は霜山徳爾、新訳は池田香代子)のなかで、「異常な環境条件のなかで異常体験があったからといって、それは異常なのではなく正常なのだ」と述べています。精神科医である彼自身が、異常環境である強制収容所のなかで幻覚を体験しているのですが、それを異常体験とはいわないといっているわけです。
情報提供元 :
(C)株式会社 法研
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